シルバーナイト プロジェクトその3

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事件発生:
1979年1月、大阪市内に在る当事の三菱銀行、北畠支店で強盗人質事件が発生しました。犯人の猟銃で4人の犠牲者が出たこの事件の様子は全国にリアルタイムで放送され、犯人の梅川がサングラスをかけて猟銃を持っているシーンは大きな衝撃を与えました。彼はそのときシルバーナイトを持っていたのです。250Aのパールモデルです。彼は大薮春彦氏の小説のファンで、その中で描かれている一説、熱いナイフでバターを切るような感触で刃が肉に食い込み、切れ落ちていく・・・という表現を現実に実行します。人質の一人を銃で脅し、仲間の耳を削り落とさせたのです。詳しい状況はシークレット扱いとなり、記述を控えますが、このナイフは後日証拠品として確認のため我が社に持ち込まれました。刃の切れ味は全く落ちておらず、少し脂のようなものがついていたそうです。

梅川はこのシルバーナイトの切れ味を日頃から自慢しており、飲み屋でも他人に見せびらかせていたそうです。余談ですが、この事件の総指揮を取っていた大阪府警の赤坂氏は和田の従兄だったと後に聞かされました。



その後シルバーナイトは順調に販売数量を伸ばし、一月に約一万本、年に10万本以上が安定して輸出されました。モデル数も増え、新しいアイデアも多くもたらされました。しかし基本デザイン、鋼材、そして品質管理に関してはなんら変更はされませんでした。100万本記念を祝った数年後、米国におけるもうひとつのビッグナイフメーカー、バックナイフにもナイフを輸出することが決まった頃の春、和田榮は永眠することとなります。その後ガーバーの社長に就任したRaske氏も他界します。


初期のモデル250Bスクリムショウ

時代の流れの中で:
時代は大きく動き、一ドルが日本円で110円という時代になっていました。輸出産業は大変革の時代を向かえ、経済が大きく動きました。その後ガーバーはフィンランドの巨大企業、フィスカーの傘下となります。米国の大不況、日本のバブル、そしてバブルの崩壊、湾岸戦争、とシルバーナイトプロジェクトも時代の波にもまれることになります。

日本のナイフ業界も苦難の時期に入ります。カスタムナイフのバブル商法による後遺症、ビジネスルールを無視した業者による販売、そして価格破壊などの社会現象に加え、刃物による少年犯罪などにより、ナイフの業界全体が危機に立たされます。

米国ではツールナイフの登場、安価で出来る人工素材を使ったイージーメイキングナイフの台頭などがあり、この頃フィスカーの要望でシルバーナイトはコスト減を余儀なくされ、一時期、自慢のミラーフィニッシュをサテン仕上げにスペックダウンしたり、鋼材をギンガミ一号から6Aという同種の鋼に変更せざるを得なくなります。高価な天然素材を奢ったモデルもドロップされ、一方でガーバーからの強い要望により製作したラバーハンドル(ゴムハンドル)を持つスタリオンというモデルが大人気となり、大量のスタリオンが毎月、毎月出荷される一方で、オリジナルデザインのシルバーナイトの存在は消えていきました。(※H)

今から思えば、一時的な現象だったのかもしれませんが、世の中から人の手で作られたナイフがなくなるのではないかという勢いでスパイダルコに代表されるワンハンドフリップが可能なライナーロックモデルが全盛を極めます。しかしそれはあまりに多種多様の類似モデルが短期間にリリースされたことにより、寿命を太く短く使ってしまったのかもしれません。マーケットの飽きは着実に広まり、あるとき突然に飽和状態となります。


スタリオン、写真は販売されなかったミディアムサイズ版のプロトモデル

コンバットモデルをモチーフしたモデルやツールナイフ、イージーメイドのマンメイドマテリアルを多用したモデルはナイフの一種類として残るでしょうが、王道を行くモデルとしては役不足だったのかもしれません。

やはり人の手間をかけた、天然素材の温かみのあるモデルに目が向くことになります。それまで機械生産のために設計、設備投資されてきた工場では作ることが出来ないモデル。人の手と心によってなされる仕上げや光沢感は、機械では真似できません。長年勤めるベテラン職人を大事にするジー・サカイの社風によって可能となったのかもしれません。シルバーナイトはその職人がいなければ出来上がらないのです。また、シルバーナイトが再び生産されることとなり、戻ってきた職人もいます。

古い感覚なのかもしれませんが、正しいナイフ、ナイフの王道なのだと思います。ジー・サカイの部長がいつも言われることがあります。「シルバーナイトは作っていて気持ちがいい。うれしくなる。そういうナイフなんですよ」



坂井部長の熱意が復活を成し遂げた:
ガーバーはいまやポートランドのナイフ工場ではなく、巨大商社の一員となったため、以前のようなアプローチでは再度販売にこぎつけるのは無理でした。あくまでも数字がものをいう世界です。交渉は困難を極めました。米国内を毎年サーキットして開かれるSHOT ショウに何度も足を運び、根気強く説得を重ねました。いいナイフは必ず売れる。それはガーバーのブランドをも持ち上げることとなる。それだけの価値のあるナイフを始めよう。根気と体力、精神力の要る交渉でした。

何よりもジー・サカイの坂井部長の熱意がずば抜けていました。彼はアイデアマンで、すばやく時代の流れを読み、今はこれだが、次はこれだと、あらゆる可能性を極めていくセンスを持っている人物です。そのうち本物のナイフ、それも高級品が求められる時代が来る。それには実績のあるシルバーナイトこそが相応しい。彼の考えを根気よくガーバーに伝え続けました。そしてその熱意が巨大商社を動かすこととなります。

シルバーナイトの話を聞くほとんどのスタッフはシルバーナイトの以前の様子を知りません。名前を聞いたことがあるという程度でした。彼らは刃物屋としての人材ではなく、あくまでも商社の人間なのです。シルバーナイトが日本で作られていることすら知らないものもいました。


最新の技術と共によみがえったシルバーナイト2003バージョン
写真提供 ワールドフォトプレス

私は以前、一時期ガーバーで働いていたことがあります。その頃のスタッフも何人かは残っていますが、野武士の集団のようであった以前のガーバーのスタッフは巨大商社の社風に合わず、多くが退社していました。日本でアポイントを取って渡米すると、その間にクビになっていて、会えなかったという、笑えないこともありました。退職したスタッフは誰もが優秀で頭の回転が速く、礼儀正しく私たちをもてなしてくれました。残念なことですが、これも時代の流れなのかもしれません。

しかし最終的に大きな説得力となったのは、シルバーナイトそのものが持つ魅力でした。流れるような美しい線でありながら、しっかりした存在感のあるデザイン。細部まで人の手で仕上げられた高い品質。手に持って、ポケットに入れて、出して、指で触って感じる感触。心地よい重み。刃を出したときの音でわかる精度の高い作り。※Iこれらは全ての人に共通する部分に訴える、何かを持っているのだと思います。そしてマーケットがイージーメイキングナイフに飽きを示していたこともありました。

復活:
ガーバーはついに決断します。「今、ガーバーにはシルバーナイトのようなナイフこそが必要な
のだ」というのがそのプロポーズの言葉でした。プロジェクトが再稼動した瞬間です。しかしこれからが大変でした。早速サンプルを製作、そして約6ヶ月、2回に及ぶ外部機関によるI.S.I.R.という品質試験をクリアし、約29ページに及ぶ契約書が交わされます。私はこの契約書を読むだけで長い時間を使ったのを覚えています。細かいことまで、一切が保証と契約で決められていました。ちなみに1976年にスタートしたときには契約書は存在しませんでした。人の信頼関係のみで成立していたのでしょう。ようやくシルバーナイトはガーバーのナイフとして復活することとなりました。


第二世代のシルバーナイトを手にするガーバー氏
2003 SHOT SHOW in ORLANDO


契約から注文までの途中、何度かサンプルを送り、新しいアイデアを提案しました。(※J)驚いたのは、担当バイヤーから来たメールです。「サンプルは問題なく受け取ったわ。ボスがなんというか分らないけど、とにかく私はこのナイフがほしいわ。何とか一本いただけない? This is Cool !」。 後にセールス担当者からも同じようなメールが送られてきました。こうしてガーバー社内にシルバーナイトのファンを作っていきました。ビジネスを別にして彼ら自身が持っていたいと感じたのです。こういう状況が復活の大きな要因となったといえます。シルバーナイトの持つ魅力です。

ライナーロックはNG:
新世代シルバーナイトを進めて行く上で提案した内の一つとして、以前ラブレスがデザインした設計図を基にロック機構をいまや主流となりつつあるライナーロック式に変更したモデルがありました。これはいけると思って自信を持って提案したのですが、返ってきたのは意外な返事でした。

片手で開閉可能なライナーロックは簡単に手早く刃を出して使いたい場合、そういうときに使われるナイフにはいい。でもシルバーナイトではどうだろう。カスタマーは刃を出すときのバネの具合や開いたときの精密な音、そして鋭い切れ味を感じるために選ばれる大人のナイフだ。高級品であるシルバーナイトに、ライナーロックは似合わない・・・ これがガーバーの返答でした。急激な変化は求めない。大量生産を期待しているわけでもない。少量でも高品質なナイフを安定して供給してほしい。副社長からはこういうコメントも届きました

セールスの担当者から聞いて何よりもうれしかったのは、シルバーナイトの販売先がディスカウントショップや街のスポーツナイフショップではなく、宝石店や宝飾店がメインとなっている点です。ジェントルマンナイフとして本来の様子です。スポーツナイフメーカーとしてのガーバーですから、その強度、(※K)切れ味、品質はアウトドアーでの使用にも十分に対応できるものを持っているシルバーナイトですが、本来はジェントルマンナイフです。

別の言い方をすれば、これほど刃物としての品質を極めたジェントルマンナイフは他に無いでしょう。たとえばヨーロッパのジェントルマンナイフは宝飾を極め、高価な宝石を散りばめた物が多くありますが、シルバーナイトほど刃物として鋼材にこだわり、熱処理から刃付けまで切れ味にこだわったジェントルマンナイフというのは、まずありえないでしょう。スポーツナイフメーカーの名門ガーバーのジェントルマンナイフたる所以でもあります。今後も私たちのシルバーナイトが多くの人に愛用されるように、米国ガーバー社、ジー・サカイとスクラムを組んで行きたいと思っています。


最後に
この原稿を書いているとき(2003年春)、とうとう米国がイラクをアタックしたというニュースが流れてきました。これから時代がどう動くのか私には分りませんが、世界が平和であることを望みます。

火は物を焼き尽くし、人に大きな失望感を与えます。しかしコントロールされた穏かな火は人を落ち着かせ、癒すことが出来ます。同じように、ナイフは武器にもなりえる道具のひとつではありますが、その表情や存在によって心が豊かになったり、喜びや安心感を与えることが出来るものでもある。私はシルバーナイトを通じてそう感じています。また、そう信じて今後も人の心に好かれる商品を作って行きたいと思っています。

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シルバーナイト10周年、販売100万本記念モデル
ミラーフィニッシュのブレードに金文字でエッチングされていた



※H このスタリオンモデルが後にガーバーの人気モデル、ゲイターシリーズへと継承されました。戻る

※I 今回リリースされるシルバーナイトはデザインと鋼材をのぞき、全く新しいナイフといえます。全ての部品デザインはジー・サカイ工場内にあるキャドシステムに入力され、、コンピューター管理によりレーザーでカットされています。このレーザーで打ち抜く設備は米国ガーバー社にもない高品質なもので、ガーバーの工場長とジーサカイの工場を訪ねた際に、この機械をウチにもほしいともらしていました。戻る


左から、キャドシステム、レーザーカットマシーン、レーザーで精密に型抜きされた状態

※J いくつかのサンプルにはブラックチタンを使用したものや、記念モデルなどが含まれていました。戻る

※K シルバーナイトはスポーツナイフとしても十分通用するだけの強度を持たせるため、そのサイズからは不釣合いなほどピンの直径が太く、刃を支える軸径もアンバランスなほど強度のあるものです。ただしそれが埋められているボルスター(口金)の部分は研磨されており、外からは見えないようになっています。戻る

平成16年11月、ジー・サカイの坂井進会長が永眠されました。孫ほども歳の離れた私たちの質問にも、丁寧に答えてくださる、やさしい方でした。シルバーナイトの父である、進会長の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

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