ガーバー シルバーナイト プロジェクト その1 


ガーバー・シルバーナイトは Fiskars Consumer Products, Inc., Gerber Legendary Blades, U.S.A.の商品です。

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ガーバーのジェントルマンナイフ(紳士用ナイフ)として世界的にその地位を確立したシルバーナイト。1977年に米国ガーバーにより初めてリリースされて以来、すでに200万(※@)本近くが生産、販売されている。このナイフ、実は岐阜県関市にある、株式会社ジー・サカイで作られています。

日本の一メーカーがスポーツナイフの名門、米国ガーバーに認められ、200万本にも及ぶヒット作を生み出し、それは四半世紀以上にもわたり愛用され続けてきました。ここでは開発時の、エピソード、そこにある個性あふれる人物像、そして時代の流れにより変更を余儀なくされた頃の様子、その後の復活を遂げるまでを紹介しています。

一部はナイフマガジンに一時期掲載されておりました、和田榮・回想のナイフ物語、「シルバーナイト」より引用、また株式会社ジー・サカイの会長、坂井進氏をはじめ、同社のスタッフのお話を元に書かれております。



はじまり:
はじまりは30年も以前にさかのぼります。ある日青年が私たちの事務所を訪ねてきました。彼は刃物の町、岐阜県関市で輸出用ナイフを生産している工場の長男だと告げました。彼は雑誌に掲載されていた私たちの輸入ナイフの広告を見たことを告げ、「あなたは高級ナイフを輸入しているらしいが、日本でも高級ナイフは作れますよ」と言い、持参してきた3〜4本のナイフを誇らしげにテーブルに並べました。自信に満ちあふれた青年の様子は、少し高慢に見えたかもしれません。

並べられたナイフを見て、当時のファスナーズの社長、和田榮、以下和田(※A)は言いました。「これはオモチャですな。私たちが扱っているナイフとは全く別次元のものです。とても高級品と言えるシロモノではありません」 


1985年頃のモデル250A アバロン


関市からたずねてきたこの青年、現在は株式会社ジー・サカイ代表取締役社長、坂井勇平氏です。これが我が社とジー・サカイとの出会いであり、シルバーナイトのスタートでもあったといえます

期待に反する答えに驚いた勇平氏はどうしていいか分らなくなっていました。和田は棚からガーバーやバックのナイフを取り出し、どこがどう違うのか、相違点を一通り述べ、遠慮することなく、散々にこき下ろしました。勇平氏は黙って聞いて、帰っていきました。

その後、和田はその出来事を忘れていたそうです。ある日、また勇平氏がやってきました。彼は和田の苦言を薬に、いろいろと勉強し、改良を加えてもう一度挑戦してきたのです。和田はこのとき、もしかしたら彼こそが和田が永年持ち続けている高級品ナイフ作りの夢を実現してくれる人物ではないかという思いが沸いてきたと、彼の原稿に記しています。

和田は熱心に改良事項を説明し、高級ナイフとはどんなものかを述べ、再改良見本を持参するように頼み、元気付けるために、良いナイフが出来たら購入するとも言いました。この後、勇平氏は何度も関と大阪とを往復することになります。

以前からガーバーと取引があったため、和田は当時のガーバー社の副社長、James R. Raske氏に日本のナイフの優れている点を説明し、何とか取り扱ってもらえないかと言う申し出をしていました。その当時、米国内のビジネスはブームに乗っており、ナイフはいくら作っても追いつかない有様でした。社長のPete Gerber氏はプライドが高く、日本製のナイフには全く興味がありませんでした。しかし日本製のカメラや時計、テレビなどの優秀さをナイフにも期待したのかもしれません。以前からプロポーズを繰り返していたおかげで少し乗り気になってきていたRaske氏の説得もあり、条件付で輸入してくれることになりました。

その条件は、期待通りの出来でなかったら、一回きりで終わりという厳しいもの。しかしその後、その一回きりが25年以上続くことになります。


販売100万本記念パーティーにて左から、和田榮氏、Mr.Pete Gerber、坂井進氏


デザイン:
故、アル・マー氏は中国系アメリカ人で、当時ガーバーのチーフデザイナーでした。社長のPete Gerber氏は当時としては珍しく人種偏見を持たない人で、日系、中国系のスタッフがガーバー社内で活躍していました。マーというのは馬のことで、日本風で言うと馬さんです。柔道を学び、当事講道館で二段をもらったのを大変誇りにしていました。彼はグリーンベレーでも活躍した、優れた軍人でもありました。

マーさんは狩猟が好きで和田とは趣味も合い、親しい付き合いが始まりました。彼はピストル、銃器のコレクターで、日本では手に出来ない名銃を多く所有していました。シルバーナイトは彼がデザインすることになりました。当時ガーバーの主力ラインであった、ブラスシリーズ、FS-TやFS-Uなどと共通のラインを持ったデザインにしようとしていました。

シルバーナイトは何ら奇を狙ったデザインでもなく、一見普通のラインで構成されているように見えますが、曲線と直線をうまく使った、飽きの来ない、ポケットナイフとしては普遍的なデザインで描かれました。カーブの具合、ラインの曲がりの様子、この簡単で普通のラインがバランスの取れたオブジェクトを構成しているのだと思います。この基本デザインが200万本を売ることになる大きな要因となります。(※B)


Mr. Al Mar、右は和田榮氏

鋼材:
当時、ジー・サカイには顧問として尾上卓生氏がおられました。彼は大阪の人で、当時は私たちのお客様でした。大変なナイフ好きで、和田の集めたナイフを見、ナイフの話をするのが楽しみでよく事務所に遊びに来られていました。これが尾上氏と坂井勇平氏を結びつけるきっかけとなります。

尾上氏は熱処理の専門家で、和田は彼からいろいろと勉強をしたと言っています。熱処理を軽んじて、高級ナイフは出来ないと分ったのも、尾上氏から学んだものです。尾上氏は出来上がったナイフを買うだけでは飽き足らず、自分で作りはじめました。和田も何本も貰って試用したそうです。そのうち彼は趣味では飽き足らず、ナイフ作りのために岐阜県関市へ単身住み込んだのです。関の風土になじむには苦労があったと思いますが、今では関の有名人として、なくてはならない鋼、熱処理の専門家です。ナイフマガジンには氏の「科学の目とナイフ」という記事が長期に渡り連載されていました。一度ランドールナイフを送ってくれということでお送りすると、高価なナイフを真っ二つに切って鋼材の分子構造を研究されていたのを記憶しています。

当事ガーバーは自社のナイフに使用したゾーリンゲン製の440-C鋼に満足せず、鋼材の注文を打ち切ったことを聞いていました。Pete Gerber氏は常に最良の鋼材を求める人で、ハイスピード鋼(高速度工具鋼)をハンティングナイフに使用したり、フォールティングナイフにもハイス鋼の一種であるVasco Steelを使用したりしたほどです。日本で入手できる量産向けの最高のものは何か。

尾上氏は日立金属製のギンガミ一号を指名しました。理由はいくつかあります。まずメーカーが信頼できること。これは永年のネジ屋として理解できます。ファスナーズ・メールオーダーの「ファスナー・Fastener」とは専門用語でネジのことで、元はネジの輸出をする商社からスタートしました。鉄のことに関してはある意味で専門分野でもあります。

鉄鋼メーカーはそれぞれの鉄や鋼に対して分析表を発表しています。実はこれがあまり信用できないのです。分析表どおり配合されているかどうかはメーカーを信用するしか、当時は方法が無かったのです。しかし名の通ったメーカーはほぼ間違いなくそのとおり作られているはずです。ミルシートファイル、即ち工場の分析表が全てと言う条件ですから、クロームやマンガン、モリブデンといった高価な金属が良心的に配合されている一流メーカーの物がベストでした。しかも日立の安来ハガネは砂鉄系原料鉄100%を使用しているので、刃物の切れ味に有害な硫黄と燐の含有量が少ないのです。

またギンガミ一号は刃物専門鋼であること。カスタムナイフメーカーは目新しさや話題を求めてすぐに新鋼に走る傾向があります。たとえばベアリング用、耐熱用、金型用に開発された鋼種を刃物に転用します。たいていが、分析表を見て、これなら錆に強いとか、高度が高いとかを判断するようです。中には成功例もありますが、思わぬ失敗に終わることが多く、量産品には使えません。分析表からの判断は素人の出来ることではありません。



実験に使った当事のスクラップ物。これはラブレスがデザインしたモデル


刃物鋼が定着するには何年と言う時間が必要です。新しい鋼が出来てもその鋼が新しいものである以上、優れているには違いは無いでしょうが、たとえば5年後どうなっているか、それはどうしても5年たたないと誰にも分からないのです。予想は出来ても、確証は持てません。たとえば木造建築物は奈良の大仏殿を見ても一千年の歳月に耐えることは証明されていますが、コンクリートのビルはわずか百年後でさえ、どうなるのか、誰にも分らないのです。

量産品に使われる鋼として信頼できるものを選ぶため、五年、十年と言う期間は決して長くありません。量産品はその間に何十万本も生産されてしまうのですから、鋼を選ぶのには慎重の上にも慎重にということになります。その点ギンガミ一号にはその頃すでに十分な実績があり、信頼できる鋼といえました。

しかしこの鋼は高価な特別鋼のため常時生産されておらず、注文から3ヶ月も待たなければいけません。同種のローグレード版、ギンガミ五号は13クロームで、これは常時生産されているのですが、どうしても16クロームのギンガミ一号にこだわりました。スペック上は13クロームあれば十分だとしていましたが、下限が13クロームとして考えた場合、分析表による机上計算で13クローム以下の部分が少しでも混ざっていれば熱処理のわずかなミスでも重なれば、結果は思わぬ不良となります。余裕(アローアンス)が大事なのです。その点ギンガミ一号なら16クロームもあり、十分なアローアンスを持っています。たとえ3ヶ月待ったとしても手に入れたい鋼でした。

以上の全ての要素を踏まえて、鋼材にはギンガミ一号以外に考えられませんでした。

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初期の頃のガーバーのカタログより
丈夫なナイフだからといって、美しくなれないことは無い、というコピー

美しいデザインながら、十分にタフだということを逆に表現している



※@ 100万本販売記念レセプションは1987年にガーバー社長夫妻を米国から招き、関のナイフ博物館のオープン記念、ガリバーナイフのギネス登録イベントとあわせて盛大に開かれました。その際、アニバーサリーモデルを日本で3種類発売。シルバーナイトとしては初めてのシースナイフもありました。どれもシリアルナンバー付きのタイガーウッドハンドルのモデルで、セレーション刃を持つ大型2枚刃モデルもありました。大変な人気で、各モデル1,000本限定でしたが、全て完売となりました。戻る

※A 和田榮、当事ファスナーズ・インターナショナル・リミテッド社長。日本に初めてカスタムナイフを紹介、ラブレスやクーパー、ランドール、久山オダなどを扱う。またガーバーやバックなどのマスプロナイフも扱い、当事はフィルソンやエディーバウアー、レッドウイングなどの名門を日本に始めて輸入、販売した。その後ナイフ輸出部門と通信販売を主にしたファスナーズ・メールオーダー・システムの代表となる。両社は資本分離され、別会社となるが、国内販売において今だにパートナー関係です。戻る


※B その後デザインにはラブレス氏が参加することになります。スリップロックのステンレスモデルはラブレスデザインで販売されました。また、オリーブ色のABSプラスチックを使用したモデルは、ラブレスの発案、デザインです。 昨年、ガーバーの担当者がシルバーナイトの話をラブレス氏としたとき、彼は自分のデザインしたABSモデルが好きで、生産することになったら是非一本ほしいと言っていたそうです。戻る

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